日曜美術館「ワイエスの描きたかったアメリカ」

2017年09月17日
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アンドリュー・ワイエス 「クリスティーナの世界」1948年
石膏ボードにテンペラ ニューヨーク近代美術館

日曜美術館「ワイエスの描きたかったアメリカ」
NHK Eテレ 10月10日(日)9:00〜
再放送 10月17日(日)20:00〜
今年生誕百年を迎え、注目を集めるアメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス。力強く生きる移民の姿を描き続けた。今ワイエスの絵が問いかけるものとは。
建国以来およそ240年、世界中から多くの移民が渡ってきて活力を生み出してきた国、アメリカ。そうした移民の姿を描いたある画家に今注目が集まっている。アンドリュー・ワイエス。今年生誕100年を迎え、記念切手が発売され、記念展覧会では多くの人を集めている。かつて彼は「アメリカ人にアメリカとは何かを示したかった」と語った。言葉の裏に込められた意味とは?作品から読み解く。
【ゲスト】岐阜県現代陶芸美術館館長…高橋秀治,バイオリニスト…五嶋龍,【司会】井浦新,高橋美鈴


移民に厳しい政策を打ち出した現アメリカ大統領を絡めながら、ワイエスを見直す番組。
ワイエス含め、移民による革新や変化によって発展してきたのがアメリカなんですよね。
そうは言っても、ワイエスはどう考えても、描きたいものを描いてきただけ。彼は誰とでも仲良くなるタイプではなく、モデルも親交のあった人たちがほとんど、その彼にインスピレーションを与えてくれたモデルが、たまたま社会的弱者であったり、孤独な人が多かっただけだと思います。
イデオロギーや社会的な取り上げ方は後付け、もっともその生き方そのものがアメリカの歴史ですが。

代表作「クリスティーナの世界」は、どのような生き方にも尊厳がある、そう感じさせる作品です。
ワイエスは孤独や貧困に、同情でも共感でもなく、もっといえば協力もしないし、相手に踏み込むこともしない。相手を認める、ただそれだけ。
私が好きなワイエス作品はヘルガシリーズですが、やはりモデルとは、そんな距離感があります。むしろ距離をおいて見ることが大切だったのかもしれません。

人の気配だけを描くのもワイエスの手法という話に、ゲストのバイオリニスト五嶋龍君が、
「音楽もそのまま伝えるのではなく、音の無い部分に意味がある時がある」
「アーティストの役割は、聴く人(見る人)のクリエイティビティを生み出すことが究極」
と、それまで気楽そうしていたんですが(笑)とても深いところに突っ込んできて、さすがだなあと思いました。
私も心ひかれる芸術作品には、作品と対話、フィードバックしている感覚になるので。

また五嶋龍君は、SNSに慣れすぎて、短時間で判断しがちとして
「(ワイエスは)一瞬でわかるものではなく、裏になにかあるのではないかという。戸惑わせる」
考えてない天才肌にように思っていると、思慮深い五嶋龍君に高橋アナがなんかうっとりしてました(笑)


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アルチンボルド展

2017年09月06日
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ジュゼッペ・アルチンボルド《春》1563年 油彩/板

アルチンボルド展 公式サイト
ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)は、16世紀後半にウィーンとプラハのハプスブルク家の宮廷で活躍した、イタリア・ミラノ生まれの画家です。
自然科学に深い関心を示したマクシミリアン2世、稀代の芸術愛好家として知られるルドルフ2世という神聖ローマ皇帝たちに寵愛されたアルチンボルドは、歴史上でもひときわ異彩を放つ、宮廷の演出家でした。そんな「アルチンボルド」の名は何よりも、果物や野菜、魚や書物といったモティーフを思いがけないかたちで組み合わせた、寓意的な肖像画の数々によって広く記憶されています。奇想と知、驚異と論理とが分かちがたく交錯するそれらの絵画は、暗号のようにして豊かな絵解きを誘い、20世紀のシュルレアリスム以後のアーティストたちにも、大きな刺激を与えました。
本展は、世界各地の主要美術館が所蔵するアルチンボルドの油彩・素描(帰属作品を含む)計30点を中心に、およそ100点の出品作品により、この画家のイメージ世界の生成の秘密に迫り、同時代の文脈の中に彼の芸術を位置づけ直す試みです。日本で初めて、アルチンボルドのユーモアある知略の芸術を本格的にご紹介するこの機会を、どうかご期待ください。


おもしろかったです。
ボスターになっている目玉「春」はアルチンボルドの作品の中でも、別格に美しい。
バラ色の頬と肌色、華やかな頭部の花々、清潔感のある襟は白い花、体は春らしい柔か緑の植物。
顔のパーツも植物。目はパンジー、白い歯はすずらん。近寄ってよく見ると、一つ一つが別個の植物にしか見えません。顔に合わせて無理に植物の形をゆがめる事なく、自然にままに…自然に見える形で配置していています。
全て実在の植物、「春」には80種類の植物が描かれているらしい。

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《紙の自画像(紙の男)》 1587年 鉛筆、ペン、インク、水彩、灰色の淡彩/紙 

アルチンボルドのデッサン力がわかる自画像。同展にダヴィンチの素描もありますが、負けてないです。
紙で形作られた描き方、普通に素描じゃないのは習慣なのかも。

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ジュゼッペ・アルチンボルド《夏》1572年 油彩/カンヴァス

離れて見ると、人ですが、近寄ると人は消え、野菜しか見えません。
鼻はキュウリ、歯はグリンピース、夏野菜豊作!って感じで楽しい。体は夏に収穫を迎える麦。
このような作品は、寵愛された皇帝への捧げもの。縁起物だったり、王宮を象徴するものを多数盛り込まれているらしい。知的で寓意に満ちた作品。
「夏」は、大航海時代に遠い異国からもたらされたトウモロコシやナスなど、新しい野菜も描かれ、見る人が見ればなるほどとわかる…そんな楽しみ方をしていたらしい。

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ジュゼッペ・アルチンボルド《秋》1572年 油彩/カンヴァス

秋はぶどうの収穫とワインの仕込み。
顔は果物や根菜類でとても自然に見えます。髭の口元は…栗のイガ!この発想もユニークです。

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ジュゼッペ・アルチンボルド《冬》1563年 油彩/板

冬は老人というのは納得、古木の枝や根っこが老人にしか見えませんね。鼻や耳は折れた枝、口はサルノコシカケみたいな茸。

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連作「四代元素」より《大気》 油彩/カンヴァス スイス、個人蔵

大気…とは空、空に暮らす鳥で肖像画。頭にこんなに鳥がいたら怖い(汗)
それもこれも超リアルなのでより怖いのかも。

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連作「四代元素」より《大地》 1566年(?) 油彩/板

大地…ということで、大地に生きる動物たちで肖像。
サイズは無視していますが、シカ、象、羊…ウシ科やネコ科の動物など、いずれも実在の動物たち。鳥類もそうですが、当時の最先端の博物学を学んでいるということが大事なポイント。「これは新大陸で最近みつかったあれで…」とか、知的な楽しみ方をしたのでしょう。

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連作「四代元素」より《火》 油彩/カンヴァス 

火を制する事は「高度な技術力」を持っているという事。大砲や火薬、皇帝の力を誇示しているらしい。
「火の車」とは違う(笑)
もし現代にアルチンボルドがいたら、「宇宙」もあったに違いないと思う。

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連作「四代元素」より《水》1566年 油彩/板

これはアルチンボルドの作品の中でも特に不気味としか(汗)
リアルな海の生物が…眉はエビ、口はサメの口、ヒゲは深海生物のヒゲ?体には大きなカニ、エビ、タコに覆われてる。
そして不気味さの中に真珠のネックレスとイヤリング…ミスマッチじゃない、どれも海から来るものだから。赤いサンゴもおしゃれ?

写実を極めた植物や生物は見事、革新的で見る者の知的レベルや、高い地位の人しかもち得ない情報レベルを試すような作品。いいのか悪いのか、芸術作品をというよりは知的なゲームをしているような感じです。
アルチンボルドの作品は近寄ると「人」が消え、個々の生物がうごめいている…離れると生物が消え「人」が現れる。その加減、多重さがすごい。
後年、アルチンボルドをまねた画家も登場しますが、近寄っても離れても人の枠にはめられた感じで、アルチンボルドには遠く及ばない。

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《司書》油彩/カンヴァス

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《ソムリエ(ウェイター)》1574年

司書とソムリエは、四代元素のような威力とちがって、なんかかわいい。
ディズニーアニメのキャラクターにいても違和感ないです。

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《庭師/野菜》1590年頃 油彩/板

これも楽しい作品、逆さまにすると野菜の入ったバケツにしか見えない。人はまったく連想できません。
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ジャック=アンリ・ラルティーグ展

2017年08月21日
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スージー・ヴェルノン、ロワイヤン、1926年9月

ジャック=アンリ・ラルティーグ展  幸せの瞬間をつかまえて
2017年7月22日(土)~9月10日(日)
福島県立美術館
フランスの裕福な家庭に生まれたジャック=アンリ・ラルティーグ (1894-1986) が父親からカメラを与えられたのは、7歳の時でした。幸せな瞬間がすぐに目の前から消え去ってしまうのを幼いころから恐れていたラルティーグは、そうした瞬間を残していけるカメラという新しい“魔法の機械”に夢中になり、生活のあらゆることを写真におさめました。なかでも、スポーツやジャンプ、自動車、飛行機といった様々な動きをとらえることへのひときわ高い関心や、心霊写真のような写真ならではの表現へのあくなき探求心は、ユニークで鋭い視点の作品を生み出しました。また、家族や友人、恋人の幸せに満ちたすがたを愛情深くとらえた作品も多く残しています。
 この展覧会では、子ども時代から晩年までの代表的な作品と、その多くが日本初公開であるカラー作品など約160点を通して、写真を楽しみ、過ぎ行く時間や人生の歓びをつかまえようとしたラルティーグの世界を紹介します。


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ぼくの空中プロペラ式水上滑走艇、板の上に取り付けた「ゴーモン・ブロックノート」カメラを使ってお風呂の中で撮った写真

買ってもらったカメラに夢中の「僕」、セッティングに凝って、ママにシャッターを切ってもらう。僕とママの会話が聞こえてきそう。

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《幽霊になったジスー、ヴィラ・マロニエにて、シャテル=ギヨン》1905年7月

いわゆるおふざけ写真、はやっていたらしい。

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従妹のビショナード、コルタンベール通り 40番地 パリ 1905年

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ルザ 1907

裕福な家庭に生まれたラルティーグ、新し物好きの両親は何でも子どもに買い与えた。
7歳でカメラ、そして自転車、大人になるにつれ、自動車、…なんと自作の飛行機まで作ろうとする。
写真はどれも楽しく、幸福感に満ちています。
不思議なのは、ラルティーグは写真に幸せな瞬間をとどめたいと思ったこと。小さな少年は、今の自分が「幸福」であり、それを「止めたい」と考えるだろうか。裕福な家に生まれたら、幸せは当たり前で、ずっと続くものと、子どもなら考えそうなんですが。
決定的瞬間やドラマチックな場面を撮りたいのはわかるけれど。今の一瞬の幸せにそこまでこだわるのが、ちょっと不思議です。

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ボブに乗るジスーとマドレーヌ・ティボー、それを見守るフォルテット夫人とタターヌとママ、ボブのレース ルザ 1911

当時相当高価であったろう写真を、遊びに惜しげなく使う。
いかにも記念写真、記録写真ではなくて、遊びんだりふざけた写真が多い。ジャンプする子ども、でんぐり返し、傘もって飛び降りる子ども、自転車で転倒する写真もある。水遊び、雪遊び…なにげないしあわせな風景。
スピード感あふれる自動車の写真もあるけれど、周囲ではしゃいでいる人たちも映っている。プライベート感満載です。

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スケート遊び、ラルティークの写真は、当時の風俗を知る貴重な資料にもなっているらしい。
細かい事まで記録した日記もありました。とにかくどんなことも記録して残したいんですね。それはもう性分かな(笑)

Lartigue Voiture de Course, Grand Prix de lACF, Dieppe, 1912
《レーシングカー「ドラージュ」、A.C.F.グランプリ、ル・トレポー》1912年6月26日

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ライト兄弟をまねて、趣味で飛行機作って遊ぶ(驚)
第一次世界大戦、第二次世界大戦もおきますが、ラルティーグは戦争や政治、イデオロギーに関わる事なく暮らした…暮らせた?
楽しい事、美しい事だけを見つめ、記録したラルティーグ、こまでくるとあっぱれか?(笑)

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Dani, Aix-les-Bains, août 1925

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ダニとミションとボビー、フリボール・クラブにて、カンヌ、1936年5月.

ラルティーグの子どもたちも楽しそうな写真ばかり。
女性は皆美しく、流行のモードに身をつつんでいます。

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ビビ、「エデン・ロック」のレストランにて、アンティーブ岬、1920年5月

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《フロレット、ヴァンス》1954年
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ジャコメッティ展

2017年07月01日
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ジャコメッティ展
2017年6月14日(水)〜9月4日(月)
国立新美術館

スイスに生まれ、フランスで活躍したアルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)は、20世紀のヨーロッパにおける最も重要な彫刻家のひとりです。アフリカやオセアニアの彫刻やキュビスムへの傾倒、そして、1920年代の終わりから参加したシュルレアリスム運動など、同時代の先鋭的な動きを存分に吸収したジャコメッティは、1935年から、モデルに向き合いつつ独自のスタイルの創出へと歩み出しました。それは、身体を線のように長く引き伸ばした、まったく新たな彫刻でした。ジャコメッティは、見ることと造ることのあいだで葛藤しながら、虚飾を取り去った人間の本質に迫ろうとしたのです。その特異な造形が実存主義や現象学の文脈でも評価されたことは、彼の彫刻が同時代の精神に呼応した証だといえましょう。またジャコメッティは、日本人哲学者である矢内原伊作(1918-1989年)と交流したことでも知られ、矢内原をモデルとした制作は、ジャコメッティに多大な刺激を与えました。
本展覧会は、南フランスにあるマーグ財団美術館のコレクションを中心としたジャコメッティの大回顧展です。この稀代の彫刻家の作品を数多く所蔵するマーグ財団美術館は、パリとチューリヒのジャコメッティ財団と並んで、世界3大ジャコメッティ・コレクションの一角を占めています。本展覧会には、ジャコメッティの貴重な作品を所蔵する国内コレクションのご協力も仰ぎつつ、初期から晩年まで、彫刻、油彩、素描、版画など、選りすぐりの作品、約135点が出品される予定です。


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(左から)《キューブ》1934/35年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス / 《横たわる女》1929年 静岡県立美術館 / 《コンポジション》1927年 マーク・コレクション、パリ / 《女=スプーン》1926/27年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

初期作品はこんな感じ。アフリカの民族的な香り。スプーンを女性に見立てた作品は、太古のヴィーナスを想像。
そして、シュールレアリスム、キュビズムの影響。
ほんのわずな局面の多角形作品は無駄なく美しい、SF的未知の物体のよう。

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《鼻》1947年 大阪新美術館建設準備室

骸骨に鼻…呪術的です。
日本で言うなら「天狗」か?いや、違いますねえ(笑)

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《犬》1951年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

ジャコメッティらしくなってきました。デフォルメされた犬、とても風情があります。

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アルベルト・ジャコメッティ《林間の空地、広場、9人の人物》
1950年 ブロンズ
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、サン=ポール・ド・ヴァンス

ある時期から、「ものに近づけば近づくほどものが遠ざかる」ようになってしまったジャコメッティ。どんなにがんばっても作品は「小像」化してしまう縮小現象なんだとか。
対象との距離感、人のコミュケーションの難しさなんだろうか?戦争の影響もあったようです。
ホントに小さい…楊枝よりは細いけど…と思って見ていくと、なんと楊枝くらいにまで小さくなった作品も!サイコロに楊枝差したのか…みたいな(汗)楊枝を彫刻したと言われても納得しそう。小さい作品に大きな台座のバランスも変わってます。
不思議ですねえ…小さく、デフォルメされているけれど形はとてもリアルで見ていてもあきません。

すれ違う3人の男など、群像作品は独特の世界観があります。どこかにこんな町がありそう。
《林間の空地、広場、9人の人物》も小さい作品、木簡か、「地面からなんか生えて来た」みたいですが、とてもおもしろいです。

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(左から)《歩く男Ⅰ》1960年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス / 《大きな女性立像Ⅱ》1960年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス / 《大きな頭部》1960年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス
(チェース・マンハッタン銀行からの依頼を受けて、ニューヨークの広場のために制作された3点の大作、未完)

こちらはびっくりするほど大きい…やればできる(笑)戦後「大きさ」は復活したらしい。

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このフロアは撮影可。この写真は私が撮ったものですが、ジャコメッティの作品は、長く伸びた巨大な影が立体となって歩き出したようにも見えます。その長い影のそのまた長い影…みたいな(笑)

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「ヴェネツィアの女」シリーズ 1956年 マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

細長く引き延ばされた、ジャコメッティらしい作品をみていると、何かを削ぎ落としていった結果とは違うのだろうなと感じます。きっとこうなんだろうなと自然に見えてきます。
ジャコメッティ流のリアルの追求、いずれの作品にも共通するの、高い知性かな。

高く結い上げた髪の妻アネットをモデルにした作品は品格と深い精神性を感じさせます。じっと見つめかえされるような…彫刻家の対象との向き合い方の深さを実感できます。
特徴的な細長い作品はどれも似通っているように見え、モデルなんていらないんじゃないのと思いましたが、ジャコメッティは長時間のモデルが必要だったとか、ゆえに妻や弟、親しい人がモデルの作品が多くなっていった。
リトグラフやデッサンをみると、顔やまなざしに強い執着が感じられ、なるほどと思います。

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留学中だった哲学者、矢内原伊作との交流。
矢内の東洋的な顔立ちにひかれモデルに、矢内は帰国を伸ばしモデルをつとめたという、
高い鼻と落ち窪んだ眼窩が特徴のジャコメッティが、平板な東洋人をモデルに求めたのは不思議な感じがしますが、いかに対象と向き合うか、という意味で矢内に強く惹かれたのだろうと…簡単に言えば「人柄や知性が顔を出る」ってことでしょうか?(笑)

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美の巨人たち~犬塚勉「梅雨の晴れ間」

2017年06月22日
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「梅雨の晴れ間」 72.7×116.7㎝ アクリル・キャンバス 1986年

KIRIN~美の巨人たち~ - テレビ東京
犬塚勉「梅雨の晴れ間」
BSジャパン 2017年6月21放送(テレビ東京2017年5月29日放送)

何気ない自然に心奪われ、一体となろうとした画家・犬塚勉。超緻密な風景画を描く一方、小学校の図画の先生でもありました。1988年、谷川連峰で遭難し、38歳という若さで帰らぬ人に…。
そんな犬塚が1985年の初夏、自宅にこもり描いたのが、今回の作品『梅雨の晴れ間』。縦72.7cm×横1m16cmあまりのアクリル作品です。雑木林の手前に草地が広がり、ヒメジョオンが風に揺れています。驚くべきは描写の密度。無数の草一本一本、葉のひとつひとつを、命を写し取るかの如く描き尽くそうとしています。描かれたのは何の変哲もない場所なのに、なぜか心を捉えて離さない感動が伝わってくるのです。
「ひょっとすると、大変な真実を見つけるかもしれない気がする」――ひたすら描き続けた犬塚は、そうつぶやきました。犬塚が見つけた“真実”とは?謎を解く手がかりは、犬塚が育ち暮らした『多摩ニュータウン』『アルミの折り畳みの椅子』『山の中でよく見かける赤いリボン』。そこにこそ、私たちがこの作品に強く惹かれる理由が…!
彼は一体何を描こうとしたのか?妻・陽子さんの言葉、元教え子や同僚の証言などから、犬塚の思いをひも解きます。


BSジャパン「美の巨人たち」で、久しぶりに犬塚勉の作品を見ました。
最初はNHK日曜美術館でいいなと感じ、その後作品を見る機会がありました。
すっかり魅了されたわけですが、好きというか、自然を捉える彼のまなざしに深く共鳴したという感じです。

「梅雨の晴れ間」に描かれているのは、里山のなにげない草むら、主役らしい雄大な自然や華やかな草花が描かれているわけではありません。
一見、主役が不在なのでは思うくらい、最初に見た時は、これで「評価」されるのだろうかと心配するくらいで(笑)
けれども、この場所がどれだけ美しく輝いているか、犬塚は知っていて、「私も知っている」と確信しています。

手前描かれている白い花はヒメジョオン。似ているハルジオンではなく、春から夏にかけて咲くヒメジョオン。
すっと伸びた茎が描く美しい三角形の空間、摘んでしまうとすぐにしおれてしまう細い花弁の美しさ…これらをちゃんと描いてくれた画家を私は知りません。
大多数は雑草として括られてしまう野原。野草の一本一本を描ききるすごさ、それはこの場所の感動を伝えるため。自然をこう描いて欲しいという理想が実現した気がしました。

犬塚の言葉「ひょっとすると、大変な真実を見つけるかもしれない気がする」には、自然の感動を伝えるすべを見つけたということかなと思っています。
38歳、深く自然に魅入られてしまい、早々にあちらに連れていかれてしまった画家。

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「縦走路」 112.1×162.1㎝ アクリル・キャンバス 1985年

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「暗く深き渓谷の入り口Ⅱ」1988年 未完成 絶筆

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