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相馬の海へ

2011年10月19日
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東京から来ていた親戚が、一度浜の方へ行ってみたいというので、つきあうことにしました。目的地は相馬の海です。
前日の雨も上がり、気持ちのいい日でした。

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私の住む福島県中通り地方から浜通り地方に行くには、あぶくま山系の山越えなのですが、今回は飯舘村経由で行くことに、ただ全村避難の飯舘村を通行できるのか?わからないままとりあえず行ってみることに。
山間の道路から見える風景はのどかで、飯舘村はもう紅葉が始まっていました。

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飯舘村に入ると、交通規制か検問…どころか通行止め標識もなく、幹線道路は普通に通れました。そして日曜のせいか結構な交通量、ちょっと拍子抜けです。
この道路を封鎖すると、この先の南相馬が孤立してしまうからかな。
飯舘村は年間の放射線量が累積で20ミリシーベルトを超えるため避難、たまに来たり、通過する分には問題ないのでしょうね。
ただし今年は、農作物の作付けは行われておらず、田園地帯がが原っぱ、それが普通ではない感じがしました。

飯舘村から南相馬に入るとどんどん生活の気配が、人が戻って来つつあるようです。町内会と思われる人たちが、歩道や側溝の掃除をしていました。ここは通学路かな?
コンビニや飲食店も営業しています。

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海につきました。北泉海岸、海水浴場です。
前方に見えるのは東北電力原町火力発電所、ただいま復旧工事中、クレーンがいくつも立っていました。
瓦礫などの残骸は撤去され、砂浜はきれいです。コンクリートのシャワー室の建物がしっかり残っていますが、ひび割れ傾き、津波の破壊力の大きさがわかります。

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誰もいないと思ったら、遠くにサーファー発見。ここがサーフィンの世界大会も開催されるくらい有名なサーフスポットであることを思い出しました。湘南などに比べて人が少ないのでトレーニングには最高、すぐ上手くなると聞いています。
サーファーたちにとって今回の原発事故は、もう…怒りが収まらないらしい。

福島の海は、今年海開きを見送りましたが、海岸の放射線量は(基準値から)制限するほど高くはありません。どっちかいうとイメージ、また海底に瓦礫などが残っていると危険だからということのようです。
いわきの海もそうらしいのですが、勝手に海にはいる人は黙認。

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ぼんやり海を見たり、写真を撮っていると、時々車から人が降りて海を見ています。
私たちのように、なんとなく様子を見にきたのでしょう。

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海沿いを少し離れ北上していくと、何もない泥の平地が続きます。波消しブロックが畑にぽつんとあり、津波がこんな内陸まできたのかと。
瓦礫はすでに撤去されまとめて小山になっていました。津波直後の生々しさはもうありません。所々に、撤去されずに残った建物(の残骸)があり、ここが住宅地であったことを想像させます。私はこの地に頻繁に来ていたわけではなく、震災直前の記憶もありません。
何もないと、以前そこに何があったのかも想像できないんですよね。
こうして記憶が更新されていくのでしょうか。

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相馬で唯一はっきりした記憶が残っているのが松川浦、子どもの頃は潮干狩りで、中学校では「少年自然の家」に来ました。
海岸沿いに松林が続き、その向こうに海があった…そこだけはよく覚えていますが、今は松の木が数本残っていただけ、すべて津波が破壊してしまいました。

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海沿いを北上してそのまま宮城県に入りました。どんどん普通の暮らしに近づいている感じがします。
亘理ではらこめしを腹一杯頂き(笑)、東北道から帰宅しました。


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