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一年、そして少し言い訳

2012年03月12日
震災から1年が過ぎました。
あの日の恐怖は忘れられませんが、親しい人や家や仕事を失ってしまった方に比べれば、自分はずっと恵まれています。
悲しみが癒えることはないと思いますが、今も不安定な状況に置かれている方たちが、少しでも穏やかな暮らしができるよう願っています。

地震と津波だけなら再生に向かうこともできますが、福島は原発事故により、あの日から災害が始まり、いまだ続いているというのが現実です。
なにも進んでいないとは言わないけれど、見通しは不透明であり、災害が終わっていないのはたしかです。
わが郷土が、まさかこのような状況になるとは。しかし、このような状況にも人は慣れてくるものです(苦笑)。

たまたま私にはブログがあり、つらつらと書くことで、ある程度気持ちの整理をつけることができました。
ブログを読んで頂いた方、またあたたかいコメント寄せて下さった方には感謝申し上げます。
今思うと、感情にまかせてあんなことは書くべきではなかった、あのニュース記事を引用したのは間違いだった…等々あり、読み返すのはいやになります。
少し言い訳をさせて頂くと、事故当時の混乱から今現在もですが、後出しの情報、いい加減ニュースも多く、結果として間違ったことを書いてしまったこともありました。当時の混乱ゆえ、どうかご容赦下さい。
しかし、個人の弱小ブログといえども、うかつに書けないことも多かったです、これでも(苦笑)。おかしなもので、書けないことがあるということで、そんな自分を客観的に見つめることにもなりました。

私個人は、地震のショックや現実的な危険や健康不安より、原発事故により福島が陥った状況、この先どうなるかわからない不安やあせり、福島をとりまく差別や無理解の方が辛かった。それは今も変わらないです。
どうしようもない挫折感や屈辱感に、気持ちが不安定になることも多く、そこでいかに冷静になるかが、日々暮らしていく上でのポイントだったかもしれません。

これが自分のことだけなら、運命かもと諦めたかもしれませんが、私の育った土地、親しい人のいる場所が蹂躙され、貶められたことは許しがたいことでした。
それを郷土愛というのかもしれませんが、この一年言葉を尽くし、わかってもらうために、一番しっくりきたのは「親のような」という言葉です。
親は大事ですが、一緒にいれば反発したり煩わしく感じることもある。具合が悪くなれば心配ですし、お互いに責任もある。縁遠くなっても、親子の縁は切っても切れないのです。
親子関係が様々あるように、郷土への思いも人それぞれです。

震災後いろいろありましたが、価値観が大きく変わることはありませんでした。福島から逃げたいと思うことも一度もありませんでした。小さな子どもがいれば違ったかもしれませんし、強制退去となれば従ったでしょうが。
この先福島県がどのような道を歩むのかはわかりませんが、私はたぶん、ここにいるだろうなと思います。

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福島で暮らす | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
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>dさん
はじめまして、コメントありがとうございます。
お気づかい感謝いたします。

震災から1年、区切りをつけたいのは山々ですが、福島はそうもいかないですね。
メディアの取り上げ方については、県内と全国ニュース、福島と隣接する県とでも、全く違うと言っていいくらいです。このギャップが、遠い地域の方との認識の違いにもなっていると思います。

これからの事故処理、廃炉にむけて国内外からビジネスチャンス!…と考える企業がいることは、それで事故処理が早まるなら構わないと私は思います。
ただこれからの原発となると、まず福島をなんとかしてから、なんとかできてから…にしてほしいですね。
その上で、感情に任せてやみくもに原発反対ではなく、事故の全容解明とすべてを明らかにしてから判断すべきと思います。
そうはいっても放射能を一気に無毒化する技術でも開発されない限り、現在の技術では危険すぎると考えますが。
被災以外の方には、福島で起きたことは、どこで起きてもおかしくないことと、自分の住む街で起きたとしたらと考えていただきたいです。

個人でできることはなんでしょうか?私もよくわからないでいます。
ただ、dさんにはどうか考えすぎず、お元気でお過ごしください。元気でいてイマイチ元気のない被災地を支えていただけたらと願っています。
幸せな人は周り幸せにすると、私は信じています。

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