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鈴木明子トークショー 覚え書き

2014年08月31日
FSG合同学園祭 JOBI校舎スペシャルプログラム
「鈴木明子トークショー」
2014年8月31日 郡山情報ビジネス専門学校

郡山の専門学校の学園祭イベントとして開催された、あっこ姐さんのトークショーに行ってまいりました。会場は200人くらい、立ち見が出る盛況。
フィギュアスケートをはじめてから、今までのこと、既出の内容もありますが、1時間程中身の濃い話が聞けておもしろかったです。
メモなし、記憶頼りでかいていますので、内容の抜け、言葉の使い方など若干変わってしまうと思いますが、内容はこんな感じだったということでご容赦下さい。

あっこ姐さんはグリーン柄のミニのワンピースがとてもおしゃれでした。TVなどでは大人っぽく落ち着いて見えますが、実際のあっこさんは目がこぼれるほど大きい、かわいいお嬢さんです。
それにしても、プロフィール紹介はあったものの、MCなしでみっちり1時間の話ができるあっこ姐さんすごい、違う才能をかいま見たような。
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フィギュアスケートをはじめたきっかけから。
お稽古ごととしてはじめたこと、覚えが早い選手ではなかった、ただ滑るのが楽しくて過ごしていた。ジュニアのころまで順調だった。
このころ、自分が20歳の時にトリノオリンピックがあることを意識し始めた。
当時は(今も)スケートはお金もかかる、トップスケーターになれば、スポンサーがついて続けることができるが、それは限られた人。その前に、故障や環境によって続けられず引退する選手も多い。大学卒業と同時に引退するのが普通、自分もそうだと思っていた(狙うとしたらトリノオリンピックということ)

ジュニアの頃から、ジャンプより表現力で評価されていて、そういう周りの見方によって、自分はジャンプが苦手なんだと思い込んでしまっていた。(今となると、そう思い込まなくても良かったかな?というニュアンス)

大学進学は、長久保コーチの指導を受けるため仙台へ。気合いも入っていて、自分はできると思っていたけれど、甘かった。3ヶ月程で摂食障害になり、体重は15キロくらい落ちてしまった。スケートをできる状態になく、地元に戻り療養。
それでもスケートは諦められなかった。(このあたりはこれまで報道された内容)

病気になった自分を受け入れられなかった(自分自身の弱さを責めていた感じか?)しかし、母はそんな自分を受け入れてくれた。そこが立ち直るきっかけ。
医師からは(完治まで)3年くらいかかると言われたが、スケートをしたいという気持ちがあったからだと思う、1年で戻って来ることができた。それは非常に珍しいケースらしい。
ただ、3年位は食事をする恐怖、食事に出かけるような場が恐かったし、人ごみに入るのが怖っかたり、不安定な精神状態だった。

バンクーバーシーズンは、ただまっすぐ(知名度、注目度もなかったせいか?)怖いものもなかった。一生懸命やった結果、オリンピック代表になることができた。
周りの人からは「遠回りしたね」と言われるが、それも(経験として?)必要だった、遠回りじゃないと心の中で思っていた。自分は負けず嫌いなので、そうは言わせないと思っていた。
(この辺りはアスリートしての勝ち気さがひしひしと感じられおもしろかった)

それまでワールド代表にもなっていなくて、いきなり大きな国際大会がバンクーバーオリンピックだった。8位入賞。
バンクーバーが最初で最後のオリンピックだと思っていたが、心残りが多かった。
「後半のルッツがいつも跳べない」
そういうもろもろの思いがあり、現役を続けたが、バンクバーの翌年は燃え尽きていた。このままでは終われないと奮起し、その翌年ワールドで銅メダル。この時もミスをして、もっとできたと思うが、自分のこの時の力が精いっぱい、現界(実力?)だと今は感じている。(引退した今はそう思っている)

銅メダル後マスコミは、ソチを目指すものと報道していたが、自分はいつ現役をやめてもおかしくない気持ちだった。
なぜ迷ったか、それは辛い、苦しい時間(シーズン)を過ごさなくてはならない、それは怖い…(覚悟ができていなかった?)周り…とくにコーチを振り回すことにもなるので…いろいろ迷うことが多かった。
ただ目標ないまま現役続けても頑張れない(明確な時期や具体的な目標がないとダメだとわかった)
迷ったすえソチまで現役を続けると決断し公表、翌日の報道は「ソチシーズンで引退!」。自分としてはソチまで「引退を延ばした」つもりだったのでびっくりした。そう見ているんだとわかった。
ソチシーズンまで、それ以降現役を続けるイメージは自分になかった。

ソチシーズンはいろいろ大変だった(詳しくは語らず)長久保コーチは優しそうに見えるが、そうじゃない。
それまでもケンカはしたが、ソチシーズンがこれまでで1番ケンカした(揉めたってことかな?)
自分もここまで現役を続けると思っていなかったが、コーチも自分の年齢(20代後半)の現役を教えた経験がなかったので、どこまで追い込めばいいのか、休ませた方がいいのかわからなかったようだ。

オリンピック代表選の全日本1週間前、最大のスランプが来て、全くジャンプが跳べなくなった。(もはやこれまでという追い詰められたなかで)コーチと話し合った。コーチは全てをかける(力を注ぐ?)と言ってくれて、自分も心を決めた。
優勝できたのは奇跡的、事情を知らない人は「ここにピークを合わせたのはすごい」というが、とんでもない。
なぜか、オリンピックシーズンの全日本ではいい結果、お前は4年に一度しかピークがないのかとコーチにいわれている(笑)

オリンピックを8位で終えた。日本開催のワールドで引退することができて良かった。(やはりミスしてしまった)メダルが取れたかも(チャンスがあったかも)しれないが、引退に迷いは無かった。
引退して、現役が恋しくなるかもと想像していたが、不思議と全く後悔していない。

自分は今までスケートしかしてこなかったので、世間知らずだと思う。引退してプロスケーターになり、その他に様々な仕事をいただいているが、新社会人になったような気持ち。できるだけ断わらず、いろいろやってみようと思っている。
毎日色々なところに行き、初対面の人にたくさん会うのは、これまでなかったこと。
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質問コーナー
Q:明子さんにとって「生きてる」ってことはどんなことですか?
(いきなり禅問答のような質問にあっこ姐さんも会場もビミョー・笑)
A:毎日一生懸命、できることをやること(だいたいの答え・笑)

Q:最近行った外国について
A;7月にデトロイトに3週間いた。4月からずっと忙しく、休みのない状態だった。OUTPUT(自分を出すだけ)で、INPUTが全くない(中身がなくなった)。自分を充実させないと、なんとかしなくてはと思った。
デトロイトでは1週間ゆったり休み、2週間目に新プロの振付、3週間目に「働こう」と思った(笑)自分は忙しい方があっている。

Q:振付師になりたい言っていたが、振付の予定、あるいは自分のプロを振付する予定は?
A:振付師になりたいと思っているが、今はスキルを磨く時期だと思っている。いろいろな振付師と組み学びたい。デトロイトに行ったのも、振付師の仕事、振付の現場を見たいと思ったから。振付依頼は来ているが、(早くとも)来年以降だと考えている。

Q:間もなく資格試験を受けるのですが、緊張しない方法は?
A:自分は競技で緊張しなかった時はない。緊張は悪いことではない、そこに集中する気持ちなのだから。周りの人もきっと緊張している。緊張を受け入れて。
緊張すると息が上がるので、深呼吸してみてください。

Q:一番すごいと思う選手は?
(歴史的な意味か、自分にとって憧れなのか、目標なのか、漠然とした質問に考え込むあっこ姐さん)
A:荒川静香さん。尊敬する先輩であり、金メダリスト。彼女はプロスケーターの世界(ジャンル)を広げてくれたすごい人。自分は、荒川さんと同じことはできないが、尊敬している。

以上!(だいたいね〜)
きちんと話す方だなあと感じました。トーク後は握手や写真に丁寧に応えてくれました。
ありがとう〜。

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