梨木香歩「海うそ」

2014年12月10日

海うそ海うそ
(2014/04/10)
梨木 香歩

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ただただ無心に漏れ来る光の林よ
昭和の初め、人文地理学の研究者、秋野がやって来た南九州のとある島。山がちなその島の自然に魅せられた彼は、踏査に打ち込む――。歩き続けること、見つめ続けることによってしか、姿を現さない真実がある。著者渾身の書き下ろし小説。


九州のどこかの離島と推測される遅島を、若い地理学者、秋野が調査に訪れる。
昭和の初めというところが肝心で、土着の文化や風習、信仰や霊場がまだ残っている、あるいはかろうじて記憶されている時代。その設定からして、今はもう忘れ去らされているのだろう…と想像されせる。読みはじめから感傷的になってしまう。

冒頭、世話になっている老夫婦は、たらい舟で温泉に行く…なんとも日本昔話のような世界。そこから徐々に、西洋館や島の外で暮らした人などが登場してきて、現代(この場合昭和初期)に近づき、秋野の行動もくっきりしてきます。
島に暮らす人々は、さまざまななものを背負っていても、平らな心で人生を受け入れている。世俗的な物事とは少し距離があるような…島の人々が広い意味でファンタジーかもしれないなと思う。
「海うそ」とは蜃気楼のことですが、遅島そのものが「海うそ」なのかもしれない。
島の自然描写にパワーがあっていかにも梨木さんらしい。旺盛に繁る植物、たくましく生きる野生動物、明るい日差しとそよぐ風、青い海…
人々の暮らしも時間もあっと言う間に、濃い緑に埋もれてしまいそうなほど。

物語が進むにつれ、もの静かな秋野の心の陰がだんだんと明らかになっていきます。人々は秋野を優しく手助けはするけれど、深くは関わってはこない。
秋野の陰とは無関係に、島にはおだやかな時間が流れ、至る所に濃密な自然がある。島と人に関わり、自然に分け入るうちに、秋野の宙ぶらりんになっていた喪失感が少しずつ癒され、少しづつあたたかいものが満たされていく。

で、そんな島が昔ありました…と、終わるだろうと読み進むと、それから50年後が描かれています。大きな戦争を経て、時代は大きく変わっている。
70代の秋野は、観光開発が迫っていると知り、遅島を訪ねることに。
秋野は、今の遅島に感傷的にはなるけれど、失っていくことをすべて受け入れようとする。一番大事なものは50年以上前に失っているのだから、その後の人生では、戦争も関係ない、どんな喪失も受け入れられるのかもしれない。
誰しも大事なものは永遠にあってほしい、変わらないで欲しいと願う。けれどそれは叶わない。
そうか、この小説は喪失を受け入れる物語なのだなと思う。

それにしても、歴史の教科書でしかしらない明治初期の「廃仏毀釈」は、なんと残酷だったのだろう。明治はずいぶんと研究されているように感じていましたが、「廃仏毀釈」についてはドキュメンタリーも目にしない。あまり話題に乗ってきていないように思う。

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