フェルディナント・ホドラー展

2015年01月05日

日本・スイス国交樹立150周年記念 フェルディナント・ホドラー展
2014年10月7日(火)~2015年1月12日(月)
国立西洋美術館 
フェルディナント・ホドラー(1853-1918)は、19世紀末のスイスを代表する画家です。国内での絶大な人気に加え、近年ではフランスやアメリカでも相次いで個展が行なわれるなど、その存在にはあらためて国際的な注目が集まっています。
ホドラーは、世紀末の象徴主義に特有のテーマに惹かれる一方、身近なアルプスの景観をくりかえし描きました。また、類似する形態の反復によって絵画を構成する「パラレリズム」という方法を提唱したホドラーは、人々の身体の動きや自然のさまざまな事物が織りなす、生きた「リズム」を描き出すことへと向かいました。今回の展覧会は、ホドラーの画業をたどりながら、世紀転換期のスイスで生まれた「リズム」の絵画を体感する場ともなるでしょう。
日本とスイスの国交樹立150周年を記念して開催される本展は、日本ではおよそ40年ぶりに開催される 最大規模の回顧展となります。ベルン美術館をはじめ、スイスの主要な美術館と個人が所蔵する油彩、素描など約100点により、ホドラーの芸術の全貌に迫る、またとない機会となります。


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マロニエの木 1889年

評判通り、見応えのあるホドラー展でした。
30代頃の風景画は、空虚な明るさと、どことなく癒しが感じられる独特の雰囲気。
若くして家族を失ってしまったこととや、それを受け入れざるをえないこと、そんな心象風景のようにも見えます。

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病み上がりの女性 1880年

ホドラーの女性像の多くに感じたことですが、指がとてもリアル、手と指先へ入れ込みがすごい。全体としても十分描かれていますが、手は別の生き物のよう、別枠で魂入れた感じがする。ここに執着する理由が何かあるのかもしれない。
「歩む女」も手が分割されて雄弁でした。
人物画はクールベの影響だとか、群像を見ると、ああなるほど。

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オイリュトミー 1895年

白衣の老人たち、うつむいて間もなくやってくる死を予感させる。
しっかりとした厚手の白衣が老いた者たちを優しく包む。ただ、顔は老いているけれど、白衣の下にはきれいな体があるように思える。全体としては優しげな美しさを感じます。
白衣の微妙な色合いもいい、死を描いていることはわかるけれど、あまり悲しい感じはしない。死がそういうものであってほしい…ということかもしれないし、死は生の一部、そこらへんに由来するのかもしれない。

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感情 III 1905年

ケシの咲く野原に4人の女性。壁画の様で違って見えるのは、肉感的で優美な足の動き、今歩いている時間の流れが見えるからだろうか。
表情は見えないのだけれど、女たちが生き生きとしている。

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恍惚とした女 1911年

「身体の運動状態が人間の恍惚をもたらす」とホドラーは語っているそうです。
踊りに没頭し恍惚の域に達した女性。動的で静的、内なるマグマが感じとれる、とても好きな作品。

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昼 III 1900年

こちらは壁画的、女性たちは原始の女神か巫女か。

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シェーブルから見たレマン湖 1905年

ポンと抜けた感じの明るい風景画は、別の画家のようにも感じます。
ホドラーの風景画は心象風景、心のあり様を思わせる作品が多い。風景であってもプライベートな空間のようにも見えます。
この広い空間にホドラーの世界が無限に広がっていくのかもしれない。いろいろありすぎるのは創造を制約する、空間があるからこそ創造は無限なのかも…しれない(想像)

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ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルの肖像(パリジェンヌ II)1909年

ホドラーの晩年の恋人、20歳年下のヴァランティーヌ。いいですねえ、惚れてるのがわかります(笑)
ヴァランティーヌはガンに冒され、ホドラーはその亡くなるまでその姿を記録するように描き続けます。病で死に行く女性、亡骸のもはや美しいとは言えない恋人に、よくそんなことができるなと思うけれど、それが画家の宿命でしょうか。
若い頃に、何もできないまま肉親を失っていった無力感への抵抗があるのかもしれない。
ヴァランティーヌ死後、ホドラーの作品は「余生」的な緩さが漂う。

ホドラー「もっとも強力なファンタジーは、尽きることのない啓発の源泉たる自然によって養われる」
繰り返し描いていたアルプスの山々。
見るたびに表情を変える自然、一瞬たりとも同じはない。ここが源泉というのはわかるような気がします。

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