もうひとつの輝き 最後の印象派 1900-20's Paris

2016年09月28日
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アンリ・マルタン《野原を行く少女》1889年、個人蔵

もうひとつの輝き 最後の印象派 1900-20's Paris
2016年9月17日(土曜日)~10月30日(日曜日)
郡山市立美術館
印象主義や新印象主義のスタイルを継承しつつ、20世紀初頭の華やかなパリで活躍した、いわば「最後の印象派」と称されるべき芸術家たち。
同時代に始まったフォーヴィスムやキュビスムなどの前衛的な芸術運動に加わらず、自然にこだわった彼らの穏やかな作品は、モダニズムを主体とする流れのなかで、次第に美術史の表舞台から姿を消していきました。
本展覧会は、近年再評価がめざましい、こうした芸術家たちが所属した「画家彫刻家新協会(ソシエテ・ヌーヴェル)」を、日本で初めて本格的に紹介するものです。アマン=ジャン、アンリ・マルタン、ル・シダネルらの、身近な自然や事物に潜む詩情を豊かに表現した約80点の作品から、彼らの足跡をたどります。


全国を巡回していたこの企画展も郡山が最後らしい。とてもすてきな展覧会でした。
一般的な印象派のイメージからすると写実的表現なので、印象派以前の古典にやや近く、穏やかで革新的な感じはしないかもしれない…歴史的に見ればですが。
印象派は1874年〜、ソシエテ・ヌーヴェルは1900年〜
「最後の印象派」という言葉の捉え方もあるのですが、厳密に線を引く事も難しい。
まあでも、そういうことはおいて置いて、目の前の作品を楽しめばいいのかと思います。

ポスターになっている、アンリ・マルタン《野原を行く少女》は大きな作品。
額縁を窓と思えば、窓の外に陽光に輝く草原が広がっているようで、この絵の中に入りたいと思いました(笑)
近づいて見ると、光がこぼれ落ちてきそうです。写真ではこの明るさが伝わりにくい、実際見て欲しい作品です。
少女が光を放つのか、少女が光に分解されてしまうのか。少女から花がこぼれる様子は、花の女神フローラを思わせます。ファンタジーの世界のようにも感じます。
マルタンの他の作品では、「収穫」の下絵が作品とは違う生々しいタッチがわかって興味深い。

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アンリ・ル・シダネル《日曜日》  1898年、ドゥエ、シャルトルーズ美術館

日曜日の夕暮れだろうか?静かにあたりを包む青白い光、逆光の表現がとても神秘的です。
「日曜日」なら人間世界の時間割ですが、この作品は神話の中の女神のような、美しく完璧な世界。
しばらく見ていると、背景は丘の上からの眺望だと気がつき、壁画のように見ていた作品に奥行き感が生まれ、圧倒されました。
シダネルの静物画《テーブル、白の調和》もおもしろい、ありふれた食器や花を描いた静物画なのにどこか神秘的な空気が漂う。

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エミール=ルネ・メナール「自然公園のなかの川の精ナイアス」

壁画のような…これこそ古典的な神話の世界なモチーフですが、自然描写はかなり写実で、そのギャップがおもしろい。

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エミール・クラウス《リス川の夕陽》 1911年、個人蔵

光り輝く夕日、もっとも印象派っぽい作品。
アンリ・ル・シダネル《コンコルド広場》も、光の点描など、印象派らしい作品。
印象派は現場で…自然の中でありのままを描くのを信条としていたと思う。今回の一連の作品は、画風やモチーフの共通点があっても、現地で感じたまま+αのような…観念的というか、演出的な側面があるような見えます。それは点描のタッチでも写実表現であっても。

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エミール=ルネ・メナール《ナイル川とテーベ山》1927年、L.- M. シュネ氏蔵

船の帆がドラゴンの翼に見えてしょうがない。
それじゃまるでファンタジーの挿絵みたいですが…そんな作品も多い。ファンタジーであっても違和感のない企画展でした。

アンリ・デュエムの作品は、ミレーに似ています。バンドノワールはムンクっぽい。
タウロブの川面の表現がすごかったです。
写実であったり、点描であったり、ロマンチックだったり、幻想的であったり、そのカオスっぷりが楽しめれば問題ないです。

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